2014年11月29日

北陸本線

富山県と石川県の境にある砺波山にある峠が倶利伽羅峠で
旧北陸道になります、
源義仲軍と平家がこの峠で戦った際、
義仲軍が牛の角に松明を括り付け
平家軍に向け放った話は有名です、
松尾芭蕉も奥の細道の帰りにこの峠を通っています、
以前奥の細道を撮影している時にこの峠で
よく車中泊をしたものです、
今回久し振りにこの峠で車中泊をして、朝下って行き
集落と北陸本線が倶利伽羅トンネルを出たところを撮影してから、
金沢周辺の撮影をしました。

北陸本線・石川県、倶利伽羅駅〜石動駅.jpg
北陸本線
前田家墓所(野田山墓地)・石川県金沢市11月.jpg
前田家墓所
CIMG5705.jpg
金沢市、浅野川に架かる中の橋
木漏れ日.jpg
木漏れ日
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2013年07月19日

羽黒山

6月3日羽黒山に登る。(新暦7月19日)松尾芭蕉の奥の細道です、
6月3日(旧暦)は山形県の新庄から最上川を舟で下り羽黒山まで来ている、
そして10日まで羽黒山南谷別院で過ごし、途中で月山から湯殿山を
1泊2日で往復している、凄い行動力だと思います。
羽黒山参道は全長約1.7km、樹齢約350〜500年の杉並木
に囲まれた2446段の石段がある。

1.jpg
羽黒山五重塔
2.jpg
羽黒山参道一ノ坂
3.jpg
羽黒山参道二ノ坂
4.jpg
羽黒山南谷別院跡


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2013年07月18日

最上川

松尾芭蕉が現在の山形県新庄市の本合海から舟に乗り、
最上川を下ったのが元禄2年6月3日(新暦7月19日)
よく晴れていたそうです、
最上川は全長約229kmの長さがあるが、全て山形県を流れている、
最上川は急流で難所も多かったのを、江戸時代ころに川幅を拡張し、
川底の掘削により舟運が発達した。
芭蕉は最上川と立矢沢川の合流する清川で上陸する。

『五月雨をあつめて早し最上川』

a.jpg
雨上がり、船上より撮影
b.jpg
芭蕉が乗船した本合海付近
c.jpg
最上峡夕景
おくのほそ道-1.jpg
以前ピエブックスより出版した奥のほそ道の写真集
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2013年07月15日

山寺立石寺

松尾芭蕉が山寺を訪れたのは
元禄2年5月27日(新暦7月13日)です、

俗世間から隔たった、静かな寺である、
物の音きこえず。岸をめぐり、岩を這て、仏閣を拝し、
佳景寂寞として心すみ行のみおぼゆ。
と書き残いている。
『閑さや岩にしみ入蝉の声』

私が最初に訪れた時は、佳景寂寞と云う言葉が
よく似合っていたが、近年は大勢の観光客が朝から
観光に訪れてくるので佳景寂寞とはいかないようです。

山寺.jpg
山寺
山寺せみ塚.jpg
山寺せみ塚山寺弥陀洞.jpg
山寺弥陀洞
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2011年07月12日

那須温泉神社

温泉神社

栃木県那須町の那須高原にある温泉神社は、
源平屋島の戦いで那須与一が船上の扇の的を射る時、
祈願したと言われている神社で、
元禄2年(1689)4月松尾芭蕉も奥の細道の
途中この温泉神社に参拝しています。
6月22日の撮影です。

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2011年07月05日

雲巌寺

雲巌寺

「木啄も庵はやぶらず夏木立」
松尾芭蕉が雲巌寺で詠んだ句です、
松尾芭蕉が奥の細道のなかで立ち寄った
雲巌寺の山内は森々として谷道はどこまでも続き
松や杉は苔むして濡れ、と残しているように
雲巌寺周辺は古木に覆われています、
現在は道も舗装され大型バスが通行できますが
芭蕉が歩いた当時の森を連想することが出来ます。
栃木県大田原市
6月23日の撮影です。

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2011年03月21日

おくのほそ道

福井左内公園

昨年ピエブックスさんから「おくのほそ道」を
出版するため撮影した写真です。
松尾芭蕉が福井に住む等栽に合うため訪れた
現在の福井市内の左内公園、
左内公園には、芭蕉宿泊地の石碑が立っていますが、
周辺は住宅街で当時の面影は何もなく、
雨空にケヤキの木の枝をパターン的に撮影しました。
昨年3月の撮影です。

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2010年09月08日

北上川と束稲山の朝

北上川と束稲山

岩手県平泉町の北上川を望む小高い丘が
高館、何度ここから朝陽の撮影をしようと
来たことでしょう。松尾芭蕉も奥の細道を
旅している時まず高館を訪れ、「先高館に
のばれば、北上川南部より流るゝ大河也」と
文を残しています。
厳美渓の道の駅に車中泊をして、朝早く起き
朝焼けから撮影を始めたのですが、明るくなるにつれ
だんだん雲が多くなりはじめたので、束稲山が
雲に覆われないよう祈りながら撮影を続け、この日は
なんとか太陽が昇るところまで撮影が出来ました。
8月25日の撮影です。

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2010年04月01日

等栽

左内公園

福井で松尾芭蕉は古い知人の等栽という
隠士を尋ねています、等栽宅跡は福井県
福井市内にある左内公園の片隅に芭蕉宿泊地
と書いた石碑があります、芭蕉はこの等栽の家に
2泊して敦賀へ向かっています。
左内公園では等栽の清貧のイメージ写真は
撮影しずらかったのですが、雨の中で木の周辺
にある苔や草の写真を撮影してみました。
3月24日の撮影です。

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2010年03月31日

旧奥州街道国見峠

国見峠

奥州街道は時代により東山道、奥の大道、
奥州道中、陸前街道などと名前が変わって
きましたが、奥羽地方への幹線道路としての
機能は変わりません、松尾芭蕉も奥の細道の
紀行でこの奥州街道の国見峠を越えています、
国見峠は現在の福島県国見町になります、
国見峠の長坂と呼ばれたあたりは、険阻な
山坂で難所な所であったみたいです、
松尾芭蕉も国見峠を越えるとき「路縦横に
踏んで伊達の大木戸をこす」と残しています。
3月22日の撮影です。

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2010年03月30日

塩竃付近の海

塩竃付近の海

今回の撮影で晴れたのはこの日だけ、
前日福島の道の駅で車中泊をして、朝起きると
周辺は雪のため真白だったが、天気がよいので
すぐ撮影現場に行ったが光線が午後光なので、
宮城県の塩竃市にある塩竃神社に行き、そのあと
海の風景を撮影、松尾芭蕉が奥の細道で塩竃に
寄った後船で松島に向かうが、船に乗ったあたりは
自然の風景は無いので少し松島方面に行き
自然の海の風景を撮影して、また福島市へ
引き返した日です。
3月22日の撮影です。

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2010年03月29日

雲巌寺

雲巌寺

松尾芭蕉奥の細道ゆかりの
栃木県黒羽町の雲巌寺を尋ねる。
黒羽町の中心地から約12〜3kmほど
東へ行った長閑な山間に雲巌寺があります、
清らかな武茂川に架かる朱塗りの反り橋を渡り
石段を登った所に堂々とした山門があり、
山門をくぐると広々とした境内が見え、正面に
仏殿があり反り橋、山門、仏殿の奥に方丈が見え
これらが一直線に並んでいます。
松尾芭蕉は雲巌寺で「木啄も庵はやぶらず夏木立」
と句を残しています。
写真は方丈の前から仏殿の屋根を大きく
取り入れ、左に鐘楼右に山門を入れてみました。
3月21日の撮影で梅が満開でした。

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2010年03月28日

奥の細道

養源院

6月に奥の細道の出版が決まり、追加の
撮影に行って来ました。
最初に行ったのが栃木県日光市の東照宮、
東照宮の裏手にある養源院は、水戸頼房の
養母英勝院が徳川家康の側室であった
於六の方の菩提を弔うために建てた寺で、
於六の方の院号が養源院であったことから
寺号に養源院の名が付けられたそうです、
元禄2年松尾芭蕉がこの養源院を訪れてから
東照宮に参詣したのです、明治以降廃寺と
なったそうです。今は石垣と英勝院と養源院の
墓が残るのみで、訪れる人は殆んどいません。

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2010年02月10日

月を合成

白河の関

先月撮影に出たときに福島県の白河の関の
イメージ写真を、久しぶりにフイルムで撮影
しました。
白河の関が夕暮れになるまで待ち、空の
青味を増すためフイルターを使用して撮影
しておき、その後、月が満月になった時に
月を合成して撮影したのが本日の写真です。

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ラベル:福島 白河の関
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2010年01月31日

歌枕の地

末の松山

宮城県多賀城市の末の松山に向かう、
末の松山は松尾芭蕉も訪れた歌枕の地です、
住宅街に囲まれた、末松山宝国寺の裏山に
樹齢450年以上の松の木が2本、連理と
なってそびえています。以前一本の松の
枝が雪の重みで折れてしまい、残念な事に
大きく松の樹景を変えてしまいました。
松の木をイメージ的に表現するために
太陽を入れて撮影しました。
1月24日撮影です。

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2010年01月29日

月の輪の渡し

月の輪の渡し

松尾芭蕉が奥の細道を旅しているときに、
福島市の阿武隈川を越えた月の輪の渡し付近で
夕景が撮影出来るのではないかと思い行って見ました。
昼間は晴れていたのですが、夕方近くから吾妻連山から
雪雲が降りてきて福島市にかかり始め市街のビル群を隠し、
太陽と雪雲と光る阿武隈川の雰囲気を演出してくれました。
松尾芭蕉が月の輪の渡しを越えたのは元禄2年5月2日で、
「月の輪のわたしを越て、瀬の上と云宿に出づ」と
書いています。
阿武隈川にかかる月の輪大橋から東へ約1kmの
所に月の輪の渡しの碑があります、当時は今の
阿武隈川より東の方を流れていたらしいです。
この後、福島在住の風景写真家五島健司氏と
合流して翌朝の撮影目的地に向かったのです。
1月23日撮影です。

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2010年01月07日

隅田川の夜明け

隅田川

隅田川に暗いうちに着きすぐに撮影を始めると
川の向こうが少しづつ明るくなり始めました、
この夜明けの時間も日の出の方向も予定どうりでした。
松尾芭蕉が深川の芭蕉庵に住んでいたのが
画面左の方で、採茶庵から奥の細道に船で
出て行ったのが画面右の方向、
芭蕉が奥の細道に出発する時の期待と不安の
イメージで撮影してみました。
1月6日の朝です。

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2009年12月19日

波の写真

波

松尾芭蕉の奥の細道の写真を整理しながら
句を読んでいて、そういえば以前秋田県の象潟で
波の写真をデジタルカメラで撮影をしたことを
思い出したが、その写真がどこのホルダーに
入っているのか分からないが、気になりはじめ
はじからホルダーを見ていき、やっと見つけ出しました。
「波こえぬ契ありてやみさごの巣」曽良の句です。

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