2016年02月27日

十三権者の石像

埼玉県秩父市街からミューズパークの丘へ行く途中にある
秩父札所23番の音楽寺がある、
音楽寺の境内を通り5分ほど登った小鹿坂峠と云われている所に
十三権者の石像がある、
十三権者が秩父札所を開設したとき、この地で松風の音を聞き
菩薩の音楽と感じたので、山号を松風山、寺名を音楽寺としたとのこと。
この十三権者の石像をイメージ的に撮影しようと
駐車場で車中泊をして夜明けに撮影をした。

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日の出前の十三権者の石像
B2寺より秩父市街と武甲山の朝_埼玉県秩父市2月.jpg
朝陽を浴びる音楽寺と秩父市街と武甲山
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小鹿坂峠の十三権者の石像

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2016年02月09日

たまらん坂

関東大震災で被災した東京商科大学(現一橋大学)が
1927年谷保村(現国立市)に移転した際、学生が
あまりにも急坂なので「たまらん」と口走ったのが
坂の名前の由来だそうだ、当時は舗装されておらず雨になると
よく滑り通行が大変だったらしいが現在はその面影はない。
また忌野清志郎がこの坂の近くに住んでいたことがあり
「多摩蘭坂」という歌を発表したことで多くのファンが訪れ
坂の途中の石垣にファンの書き込みが見られてらしいが
現在は当時と様子が変わっている。
坂をいかに坂らしく撮るか考えながら訪ねてみた。

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現在のたまらん坂

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2015年08月29日

街道沿いの山神碑

フイルムの時代に撮影したことがある旧奥州街道沿いにある山神碑、
里の風景としてもよいのではないかと思い
東北撮影の帰りに寄ってみたが10年以上前と風景は変わってはいない、
奥の細道を学習研究社より出版したのが2003年なので
撮影したのはそれ以前ですから12数年以上経っている、
記憶だけをたよりに行ったので少し迷ったか辿りつくことが出来た。
山の神は春になると里におりてきて、田の神となり秋に帰っていく、
田の神は女性神であり子宝の神、安産の神としても信仰されたと云われている、
この長閑な風景がいつまでも残されていくことを願いながら撮影をしていた。

山神碑.jpg
街道沿いの山神碑
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2015年08月25日

明治木造建築

山形県米沢市にある旧米沢高等工業学校本館(現山形大学工学部)は
1910年(明治43年)3月に全国で7番目の
高等工業学校として開校された、
この建物はルネッサンス様式を基調とした木造2階建です、
染職産業の長い歴史を持つ米沢市が染職学科を主とした
官立の高等工業学校の設立を誘致したもので
設立当初は染職科と応用科学科の2科が置かれたとのことです。
1973年(昭和48年)国の重要文化財に指定されて
資料館として公開されています。
米沢市内は今まで何度も通っていたがこの学校に立ち寄るのは初めて、
外観だけであれば通りからでもよくみえます。

旧米沢高等工業学校本館_山形県米沢市.jpg

旧米沢高等工業学校本館1_山形県米沢市.jpg

旧米沢高等工業学校本館3_山形県米沢市.jpg
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2015年04月21日

伊予の小京都

愛媛県大洲市の肱川に近い一角の100mほどのメイン通りに
明治時代から大正時代にかけての面影を残す町並みがある、
昭和41年NHKの朝の連続テレビ小説『おはなはん』
のロケ地になったところで、この通りをおはなはん通りと呼び
多くの観光客が訪ねてきています。
また大洲城をバックに肱川の鉄橋を渡る土讃線は
鉄道ファンの絶好の撮影ポイントでもあります。
大洲市は伊予の小京都と言われ人気があります。

Bおはなはん通り.jpg
夜明けのおはなはん通り
B大洲城と伊予灘ものがたり.jpg
土讃線伊予灘ものがたりと大洲城
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2013年04月30日

岩槻城跡

埼玉県さいたま市岩槻区に残る岩槻城跡、
岩槻城は1457年(長禄元年)太田道真、道灌父子による築城説と、
1478年(文明10年)成田自耕斎正等、築城説があるらしい、
現在は残念ながら本丸は住宅地になっている、
現在残っているのは、土塁、曲輪、空堀、黒門、裏門など。
城跡を生かして岩槻城跡公園としてテニスコート、野球場
自然林などがあり、家族連れ、若者たち、などが散策に
訪れている。別名「白鶴城」とも云われている。

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2013年04月29日

見沼たんぼ

見沼たんぼとは、田圃や畑、雑木林、河川などの
田園風景と自然と歴史が残されている地。
埼玉県緑区にあります、
初めて見沼田んぼを歩いてみました、
天気も良く長閑な田園風景が続き、木陰に入ると
爽やかな風が心地良かった。

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見沼代用水西縁沿いの桜並木、桜の咲く頃改めて訪れて見たい
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見沼氷川公園近くにある氷川女体神社
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2012年12月22日

佃島界隈

東京都中央区の佃島は、大阪の漁夫達が江戸に移り
もともとあった名前のない砂州を埋め立て住むようになり
故郷の摂津国佃村の名前を使い佃島としたと言われている、
葛飾北斎の富嶽三十六景の「武陽佃嶌」を見ると島の様子が分かる、
漁師達の保存食として食べ始めたのが佃煮の起源と言われている。

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船だまりに架かる佃小橋と高層ビル群
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住吉神社
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佃煮店
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佃煮店



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2012年12月19日

武蔵国分寺

東京都国分寺市、市の名前は、
741年聖武天皇の命により建立された国分寺(武蔵国分寺)が
この地にあったことに由来するらしい。
国分寺薬師堂(市指定重宝)は建武二年(1335)に新田義貞の寄進により
国分寺僧寺の金堂跡付近に建立されたと伝えられているもので、
宝暦年間(1751〜1763)に現在地で再建されたもの、
堂内にある木造薬師如来坐像は国指定重要文化財。(案内板による)
参道の階段を上がると薬師堂があり、裏手に回ると
約60体ぐらいの石仏が並んでいるのが印象的でした。

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国分寺薬師堂
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薬師堂裏手の石仏群
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境内にある山茶花の花と石仏


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2012年11月09日

霧の北上川

岩手県平泉は平安時代末期、奥州藤原氏が栄えた時代の
寺院などが多く残されていて、東北地方初の
日本の世界遺産、文化遺産に登録されている。
俳人松尾芭蕉も平泉を訪れ、『先、高舘にのぼれば、北上川南部より
流るゝ大河也』と書き残している、
この高舘は、源義経が兄の頼朝に追われ平泉にのがれ、
最後の地と言われている。
高舘からの朝焼けを撮影しようと、高舘に着くとすぐに
朝焼けが始まる、最初は北上川の向こうに束稲山が見えていたが
すぐに霧が出てきて何も見えなくなってしまった、
しばらく待つが霧は濃く、すぐにははれそうもないので
撮影を終了。

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高舘から見た朝焼けの北上川と束稲山
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日の出の北上川
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霧の北上川




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2012年08月17日

岩殿城

岩殿城は山梨県大月市にある634mの岩殿山に
築かれた山城。
戦国期、武田氏の親族扱いを受けた小山田の居城で
相模、武蔵方面の守りとした城です、
634mは東京スカイツリーと同じ高さで、
岩殿山からの富士山は展望もよく、
写真愛好家達もよく訪れています。

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2012年08月16日

雷の丘

奈良県の甘樫丘近くにある雷丘(いかづちのおか)は
高さ約10mぐらいの丘です。
雄略天皇の腹心の従者、小子部(ちいさこべ)の栖軽(すがる)が
天皇の命を受け雷を捕え、死んでからも雷を捕えたと云う話がある
これが雷丘の話。
柿本人麻呂が雷丘を詠んだ歌は
「大君(おおきみ)は神(かみ)にしませば天雲(あまくも)の
上(うえ)に庵(いお)りせるかも」
現在この地は雷の地名が残っています。

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雷丘
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雷丘
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雷丘
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雷丘
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雷丘

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2012年02月28日

夜の岩根橋

夜の岩根橋

岩手県の花巻・釜石間を走る釜石線、
宮沢賢治の時代は岩手軽便鉄道と言い、
宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」のモチーフに
なったと言われている岩根橋の正式名称は
達曽部川橋梁という、
宮沢賢治の「春と修羅第二集506
そのとき嫁いだ妹に云う」の中で
・・・・ほのかにしろい並列は
    達曾部川の鉄橋の脚・・・・
とあります。
写真は夜の岩根橋を走る釜石線、
2月7日の撮影です。

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2012年01月19日

ベトナム戦跡クチ

クチ

ベトナム、ホーチミン市から北西約70kmの所に
ベトナム戦争を語る上で欠かせないのがクチ、
約20年もの歳月をかけ全長250kmにも及ぶ
クチトンネルは一部開放されていて、
他にも戦時食のタロイモの試食、ベトコン施設の見学
観光スポットとして多くの観光客が訪れています。

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2012年01月13日

ホーチミン人民委員会庁舎

人民委員会庁舎

ホーチミンはベトナムの最大の都市です、
このホーチミンの市役所である人民委員会庁舎は
古代ローマの建築様式を再現したと言われている
庁舎前の公園にはホー・チ・ミン像が建ち
観光客の記念写真スポットになっています。

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2012年01月12日

中央郵便局

ベトナムのホーチミンにある中央郵便局は
サイゴン大聖堂(聖マリア教会)と道を隔てた所に
建っています、中央郵便局もサイゴン大聖堂と同じ
フランス統治時代の建物でヨーロッパの鉄道駅を思わせる
外観です、内部はドーム型の天井で両脇にある電話ボックスの
上には世界の時間が分かる時計も並んでいます。

中央郵便局

中央郵便局内部

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2012年01月11日

サイゴン大教会

サイゴン大教会

19世紀末フランスの植民地だった頃に
建てられたネオ・ゴシック様式のサイゴン大教会は
聖マリア大聖堂とも呼ばれています、
赤レンガやステンドグラスなどすべてフランスからのもの、
ホーチミンのシンボル的存在で、教会前の広場に
聖母マリア像が立っています。
ベトナム ホーチミン

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2012年01月10日

ホーチミン統一会堂

南ベトナム政権時代の大統領官邸の
統一会堂は国内外の観光客が多く訪れる
ホーチミンの代表的な観光地です。
内閣会議室、作戦会議室、戦争時の指令室など
100以上の部屋があり一般公開されています、
屋上にはヘリポートもあります。

統一会堂1

統一会堂2

統一会堂3

統一会堂4

統一会堂5
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2011年12月31日

木曽川と犬山城

木曽川と犬山城

木曽川は長野県から岐阜、愛知、三重の各県を流れ
伊勢湾に注いでいる、国の名勝に指定されています、
大河の畔に古城が見られるドイツのライン川の
風景たとえ、犬山城付近を日本ラインと
呼ばれています。
12月19日の撮影です。

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今年一年間ブログを訪ねて来ていただきありがとうございました、
来年も出来るかぎり記事を書いていこうと思っています、
皆様にこれからも幸多いことを願っております、
良いお年をお迎えください。
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2011年12月13日

白子の町並み

白子の町並

三重県鈴鹿市の白子の町は伊勢街道の宿場町として
栄えた町です、国道から離れた細い道のため
車もあまり通らず昔の面影を多く残しています、
街角に、さんぐう道、神戸四日市道と刻まれた道標がある、
案内板によると、この付近は曲がり角が多いので
道標を建てたが再三再四倒された、現在の道標は
昭和12年に建てられたがそれも倒され、昭和30年代
今のように立て直したと書かれています。
11月26日の撮影です。

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