2017年12月13日

付城

兵庫県三木市の中心地の南方に歴史の森公園があり
この公園が明石道峯構付城(あかしみちみねがまえつけじろ)である。
羽柴秀吉を大将とする織田信長軍が別所長治が籠る三木城攻略
のため三木城を包囲する約4kmにも及ぶ土塁と30余りの
付城を築いた一つがこの付城です、
付城とは本城とは違い攻撃軍の拠点として築かれた小城です。
この三木城を攻めた戦いを三木合戦(1578年)と言われている。

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明石道峯構付城(歴史の森公園)
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明石道峯講付城(歴史の森公園)
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明石道峯構付城(歴史の森公園)
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2017年12月11日

赤穂城跡

兵庫県赤穂市の赤穂城跡は国の史跡に指定されている。
赤穂と云うと赤穂事件を思い出す、
江戸時代の元禄年間に江戸城松の大廊下で吉良上野介を
切りつけたとして赤穂藩主の浅野内匠頭が切腹に処され
その後家臣の47人が本所吉良邸に討ち入りをした
事件で忠臣蔵と呼ばれている。
討ち入りしたのが元禄15年12月14日と言われている。

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赤穂城跡大手隅櫓と大手門
posted by 富田 at 10:08| 歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月01日

長州藩の本拠地

長州藩は江戸時代に毛利氏が治めていたが
幕末には明治維新の中心となった、木戸孝允旧宅、高杉晋作誕生地、
江戸屋横町、松下村塾、など
現在の山口県萩市には維新の関係が多く残され西の小京都とも言われ
多くの観光客や修学旅行の学生たちが訪れてくる。
この日は雨が降ったり止んだり青空が見えたりの目まぐるしい日であった。

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城下町の面影を残す江戸屋横町
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吉田松陰の意思を継ぐ者達が多く学んだ塾
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吉田松陰を祭神としている松陰神社
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2017年09月30日

津和野の街

雨の中、山陰の小京都と言われる島根県津和野町を訪れた。
雨に煙る古い街並みを撮ろうと思い訪ねて来たが
雨は上がり陽が射してきた、以前来たときも雨の中で
撮った事がある古い街並みの殿町通りは一部工事をしているので
撮るのは止め森鴎外の旧宅へ行ってみた。
文豪であり軍医でもあった森鴎外が1862年(文久2年)
現津和野町で生まれ10歳まで過ごした家で
国指定の史跡になっている。
山椒大夫、高瀬舟、舞姫などはよく知られている作品です。

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国指定史跡の森鴎外が10歳まで過ごした旧宅
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2017年09月29日

錦帯橋から宮島へ

9月26日の朝に羽田空港から山口県の山口宇部空港へ行き
山口宇部空港からバスで錦帯橋へ向かう。
錦帯橋は1673年建造された5蓮アーチからなる
全長193.3m幅5mの木造の橋で、日本三名橋、
日本三大奇橋と言われ日本の名勝に指定されている。
錦帯橋は山口県の東にあり宮島は広島県の西にあるので近いので
寄ることにした、錦帯橋も宮島も久し振りに訪れた。
宮島口から宮島までは舟で10分ほどで日本三景の一つである。
宮島は観光客が多く外国人が目立っていた。
1168年平清盛により寝殿造の様式を取り入れた御社殿に
修造されたとのこと、1400年の歴史を誇る建造美は
流石に目をみはるものがある。

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錦帯橋と岩国城
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宮島大鳥居と弥山
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厳島神社
posted by 富田 at 10:05| 歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月20日

千年前の夢

8月5日の夜に東北へ撮影のために旅に出て
18日の夜に帰って来ました。
旅先では撮影に集中するためパソコンを持たず
ブログ投稿を致しておりませんでした、久しぶりの投稿です。

まず向かったのが岩手県奥州市にある長者ヶ原廃寺跡。
ここは中尊寺から北に約1kmの所にあり、以前は藤原秀衡の御用商人である
金売吉次の屋敷後と伝えられていたが、数回の発掘調査により
奥州藤原氏の祖先である安倍氏が建立した寺院と推定された。
そして前九年の役で源頼義・義家父子に滅ぼされ焼失したとの事。
今から千年も前の事で建物の名前や構造はいまだに分からないらしいが
勝手に色々想像すると夢が膨らんでくる。

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長者ヶ原廃寺跡の礎石
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長者ヶ原廃寺跡の片隅にある石仏
posted by 富田 at 08:09| 歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年02月27日

十三権者の石像

埼玉県秩父市街からミューズパークの丘へ行く途中にある
秩父札所23番の音楽寺がある、
音楽寺の境内を通り5分ほど登った小鹿坂峠と云われている所に
十三権者の石像がある、
十三権者が秩父札所を開設したとき、この地で松風の音を聞き
菩薩の音楽と感じたので、山号を松風山、寺名を音楽寺としたとのこと。
この十三権者の石像をイメージ的に撮影しようと
駐車場で車中泊をして夜明けに撮影をした。

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日の出前の十三権者の石像
B2寺より秩父市街と武甲山の朝_埼玉県秩父市2月.jpg
朝陽を浴びる音楽寺と秩父市街と武甲山
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小鹿坂峠の十三権者の石像

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2016年02月09日

たまらん坂

関東大震災で被災した東京商科大学(現一橋大学)が
1927年谷保村(現国立市)に移転した際、学生が
あまりにも急坂なので「たまらん」と口走ったのが
坂の名前の由来だそうだ、当時は舗装されておらず雨になると
よく滑り通行が大変だったらしいが現在はその面影はない。
また忌野清志郎がこの坂の近くに住んでいたことがあり
「多摩蘭坂」という歌を発表したことで多くのファンが訪れ
坂の途中の石垣にファンの書き込みが見られてらしいが
現在は当時と様子が変わっている。
坂をいかに坂らしく撮るか考えながら訪ねてみた。

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現在のたまらん坂

posted by 富田 at 08:46| 歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年08月29日

街道沿いの山神碑

フイルムの時代に撮影したことがある旧奥州街道沿いにある山神碑、
里の風景としてもよいのではないかと思い
東北撮影の帰りに寄ってみたが10年以上前と風景は変わってはいない、
奥の細道を学習研究社より出版したのが2003年なので
撮影したのはそれ以前ですから12数年以上経っている、
記憶だけをたよりに行ったので少し迷ったか辿りつくことが出来た。
山の神は春になると里におりてきて、田の神となり秋に帰っていく、
田の神は女性神であり子宝の神、安産の神としても信仰されたと云われている、
この長閑な風景がいつまでも残されていくことを願いながら撮影をしていた。

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街道沿いの山神碑
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2015年08月25日

明治木造建築

山形県米沢市にある旧米沢高等工業学校本館(現山形大学工学部)は
1910年(明治43年)3月に全国で7番目の
高等工業学校として開校された、
この建物はルネッサンス様式を基調とした木造2階建です、
染職産業の長い歴史を持つ米沢市が染職学科を主とした
官立の高等工業学校の設立を誘致したもので
設立当初は染職科と応用科学科の2科が置かれたとのことです。
1973年(昭和48年)国の重要文化財に指定されて
資料館として公開されています。
米沢市内は今まで何度も通っていたがこの学校に立ち寄るのは初めて、
外観だけであれば通りからでもよくみえます。

旧米沢高等工業学校本館_山形県米沢市.jpg

旧米沢高等工業学校本館1_山形県米沢市.jpg

旧米沢高等工業学校本館3_山形県米沢市.jpg
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2015年04月21日

伊予の小京都

愛媛県大洲市の肱川に近い一角の100mほどのメイン通りに
明治時代から大正時代にかけての面影を残す町並みがある、
昭和41年NHKの朝の連続テレビ小説『おはなはん』
のロケ地になったところで、この通りをおはなはん通りと呼び
多くの観光客が訪ねてきています。
また大洲城をバックに肱川の鉄橋を渡る土讃線は
鉄道ファンの絶好の撮影ポイントでもあります。
大洲市は伊予の小京都と言われ人気があります。

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夜明けのおはなはん通り
B大洲城と伊予灘ものがたり.jpg
土讃線伊予灘ものがたりと大洲城
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2013年04月30日

岩槻城跡

埼玉県さいたま市岩槻区に残る岩槻城跡、
岩槻城は1457年(長禄元年)太田道真、道灌父子による築城説と、
1478年(文明10年)成田自耕斎正等、築城説があるらしい、
現在は残念ながら本丸は住宅地になっている、
現在残っているのは、土塁、曲輪、空堀、黒門、裏門など。
城跡を生かして岩槻城跡公園としてテニスコート、野球場
自然林などがあり、家族連れ、若者たち、などが散策に
訪れている。別名「白鶴城」とも云われている。

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2013年04月29日

見沼たんぼ

見沼たんぼとは、田圃や畑、雑木林、河川などの
田園風景と自然と歴史が残されている地。
埼玉県緑区にあります、
初めて見沼田んぼを歩いてみました、
天気も良く長閑な田園風景が続き、木陰に入ると
爽やかな風が心地良かった。

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見沼代用水西縁沿いの桜並木、桜の咲く頃改めて訪れて見たい
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見沼氷川公園近くにある氷川女体神社
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2012年12月22日

佃島界隈

東京都中央区の佃島は、大阪の漁夫達が江戸に移り
もともとあった名前のない砂州を埋め立て住むようになり
故郷の摂津国佃村の名前を使い佃島としたと言われている、
葛飾北斎の富嶽三十六景の「武陽佃嶌」を見ると島の様子が分かる、
漁師達の保存食として食べ始めたのが佃煮の起源と言われている。

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船だまりに架かる佃小橋と高層ビル群
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住吉神社
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佃煮店
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佃煮店



ラベル:東京 漁夫 保存食
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2012年12月19日

武蔵国分寺

東京都国分寺市、市の名前は、
741年聖武天皇の命により建立された国分寺(武蔵国分寺)が
この地にあったことに由来するらしい。
国分寺薬師堂(市指定重宝)は建武二年(1335)に新田義貞の寄進により
国分寺僧寺の金堂跡付近に建立されたと伝えられているもので、
宝暦年間(1751〜1763)に現在地で再建されたもの、
堂内にある木造薬師如来坐像は国指定重要文化財。(案内板による)
参道の階段を上がると薬師堂があり、裏手に回ると
約60体ぐらいの石仏が並んでいるのが印象的でした。

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国分寺薬師堂
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薬師堂裏手の石仏群
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境内にある山茶花の花と石仏


ラベル:東京 国分寺 石仏
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2012年11月09日

霧の北上川

岩手県平泉は平安時代末期、奥州藤原氏が栄えた時代の
寺院などが多く残されていて、東北地方初の
日本の世界遺産、文化遺産に登録されている。
俳人松尾芭蕉も平泉を訪れ、『先、高舘にのぼれば、北上川南部より
流るゝ大河也』と書き残している、
この高舘は、源義経が兄の頼朝に追われ平泉にのがれ、
最後の地と言われている。
高舘からの朝焼けを撮影しようと、高舘に着くとすぐに
朝焼けが始まる、最初は北上川の向こうに束稲山が見えていたが
すぐに霧が出てきて何も見えなくなってしまった、
しばらく待つが霧は濃く、すぐにははれそうもないので
撮影を終了。

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高舘から見た朝焼けの北上川と束稲山
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日の出の北上川
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霧の北上川




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2012年08月17日

岩殿城

岩殿城は山梨県大月市にある634mの岩殿山に
築かれた山城。
戦国期、武田氏の親族扱いを受けた小山田の居城で
相模、武蔵方面の守りとした城です、
634mは東京スカイツリーと同じ高さで、
岩殿山からの富士山は展望もよく、
写真愛好家達もよく訪れています。

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posted by 富田 at 07:43| Comment(0) | 歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年08月16日

雷の丘

奈良県の甘樫丘近くにある雷丘(いかづちのおか)は
高さ約10mぐらいの丘です。
雄略天皇の腹心の従者、小子部(ちいさこべ)の栖軽(すがる)が
天皇の命を受け雷を捕え、死んでからも雷を捕えたと云う話がある
これが雷丘の話。
柿本人麻呂が雷丘を詠んだ歌は
「大君(おおきみ)は神(かみ)にしませば天雲(あまくも)の
上(うえ)に庵(いお)りせるかも」
現在この地は雷の地名が残っています。

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雷丘
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雷丘
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雷丘
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雷丘
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雷丘

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2012年02月28日

夜の岩根橋

夜の岩根橋

岩手県の花巻・釜石間を走る釜石線、
宮沢賢治の時代は岩手軽便鉄道と言い、
宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」のモチーフに
なったと言われている岩根橋の正式名称は
達曽部川橋梁という、
宮沢賢治の「春と修羅第二集506
そのとき嫁いだ妹に云う」の中で
・・・・ほのかにしろい並列は
    達曾部川の鉄橋の脚・・・・
とあります。
写真は夜の岩根橋を走る釜石線、
2月7日の撮影です。

富田文雄公式サイト
http://www.f-tomita.com
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2012年01月19日

ベトナム戦跡クチ

クチ

ベトナム、ホーチミン市から北西約70kmの所に
ベトナム戦争を語る上で欠かせないのがクチ、
約20年もの歳月をかけ全長250kmにも及ぶ
クチトンネルは一部開放されていて、
他にも戦時食のタロイモの試食、ベトコン施設の見学
観光スポットとして多くの観光客が訪れています。

富田文雄公式サイト
http://www.f-tomita.com
posted by 富田 at 07:54| Comment(0) | 歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする